2016年11月28日月曜日

南琉球調査その2(波照間)

調査後半に行った波照間島(はてるまじま)を紹介します.



波照間島は自転車でも一日で島をゆっくりと一周できるくらいの大きさの島です(波照間島については,wikipedia:波照間島).波照間島は,「果てのうるま(サンゴ)」という意味から島の名前がついたと言われています.


波照間島には石垣島から高速船で渡ります(およそ1時間で到着).石垣島の湾から外洋に出ると波が高くなります.そのため,この高速船は天候によって欠航することが多いそうです.そのため,今回は波照間島で滞在することを避けて,日帰りでの調査にしました.



波照間島は,日本の有人島最南端の島です(無人島含めれば最南端は沖ノ鳥島).島の南岸には「日本最南端之碑」があります.


下の写真は波照間島南岸の断崖の様子です,10メートルを超える絶壁です...海の向こうはフィリピンですね.ここでは,およそ10万年前に形成された「琉球石灰岩」を切る活断層を見ることができます.

波照間島は琉球列島の中でも海溝(琉球海溝)に近い島で,フィリピン海プレートの沈み込みの影響(プレート沈み込みによる押しの力)を他の島よりも強く受けている可能性があります.そのため,小さい島に活断層がいくつも存在するのはそのためだと考えられます.下の写真の絶壁も波照間島で有数の景勝地ですが,人間の時間スケールを超える地殻変動の結果です.


2016年11月27日日曜日

南琉球調査その1(石垣)

アメリカ西海岸での研究打ち合わせから帰国し,キャリーケースの中の荷物を野外調査道具に入れ替えて,沖縄県に来ています.今回は先島諸島の「石垣島」と「波照間島」での野外調査です.

まずは石垣島での調査について紹介します.石垣島は沖縄県では沖縄本島,西表島に次いで,三番目に大きな島です(石垣島については,wikipedia:石垣島).



石垣島に到着後,まずは島の最北端の平久保崎灯台に移動しました.ここでは恐竜時代より古い地層が露出しています.下の写真右に見ることができるのは「トムル層」と呼ばれる片岩で,海洋プレートの上に堆積した砂や泥の地層がプレートが沈み込んでいくことによって地下深くの高い圧力と温度を経験している岩石です.トムル層の片岩は長崎変成岩に相当すると考えられていて,深さ40kmよりも深いところにあった岩石です.



次は島の南に移動しました.写真は石垣島南岸の大浜集落で見ることができる津波石です.この津波石,1771年の明和の大津波で打ち上げられたと考えられていましたが,サンゴの年代測定結果から約2000年前の津波によるものと考えられるようになりました.



このような津波石と思われる大岩は海岸で多く見ることができます.下の写真でも目立って大きい岩は台風などの波浪では動かないため,津波が一番の原因だろうと考えられています.


石垣島には,琉球石灰岩と呼ばれる,今から10万年〜30万年前に形成されたサンゴ礁由来の岩石が島の南側に広く分布しています.琉球石灰岩は沖縄県の他の島々でも見ることができます.


石垣島では,始新世(今からおよそ5000〜4000万年前)の石灰岩も見ることができます.下の写真は,「宮良川層の石灰岩」です.琉球石灰岩も数千万年経つと...宮良川層のようになるのかもしれません.


調査中はおおむね天候が悪かったのですが,ときおり青い空と青い海を見ることができました.11月も後半ですが,この景色はまだまだ夏って感じがしますね.


2016年11月22日火曜日

米国西海岸打ち合わせ(その2)

出張後半は,メンロパークの南隣のパロアルトです.

この街にある,スタンフォード大学を初めて訪問し,最先端の地震学研究に触れながら,研究打ち合わせを行いました.


上の写真右側に見える塔はスタンフォード大学のシンボル「フーバータワー(Hoover Tower)」です.

下の写真は,今回訪問した,地震学や地球物理学の研究者たちの研究室が入っている建物です.


スタンフォード大学構内は,1891年に創立時からの石造りの建物が多く,「西海岸はサンアンドレアス断層もあるのに,このあたりは地震活動が低いの???」とついつい気になってしまうのですが,1906年サンフランシスコ地震(マグニチュード7.8)の時には大学構内の建物の一部が倒壊したりしたそうです.下の写真の有名な「メモリアル・チャーチ」もその時の地震で被害があったようです.


これで今回の米国西海岸出張は終わり,帰国の途につきます.帰国後は,荷物の準備をして沖縄県先島諸島(南琉球)への野外調査...石垣島や波照間島を予定しています.

2016年11月19日土曜日

米国西海岸打ち合わせ(その1)

今週は研究打ち合わせでアメリカ西海岸に来ています.

サンフランシスコ国際空港に到着し,鉄道を乗り継いで,アメリカ地質調査所(USGS)があるメンロパークへ移動しました.空港からはBART(写真上)と呼ばれるサンフランシスコ/ベイエリアの各地をつなぐ公営高速鉄道システムに乗り,途中で,カルトレイン (Caltrain,写真下)と呼ばれるサンフランシスコとシリコンバレーを繋ぐ鉄道に乗り換えました.



下の写真はUSGS最寄り駅のメンロパーク駅の駅舎です.


USGS(写真下)での打ち合わせ2日間では,午前午後それぞれ30分間隔で15人ほどの研究者と個別に議論する慌ただしいスケジュールでした.30分が一瞬に感じるほど議論が盛り上がり,これまでやってきた研究スタイルがUSGSでもウケて安心しました.皆さん大変好意的に話を聞いてくれました.


今回の収穫の1つとして,外国人研究者と研究打ち合わせの時に短時間で自己紹介する場合は,自分の研究を紹介するホームページのコピー(写真下)で十分だったことです.日頃から英語でホームページを作成し,研究トピックスと業績リストなどを整理しておくと便利です.


外国人研究者との議論で感じたことは,英会話の能力よりも,研究の要点を抑える視点が大事なこと.たどたどしい英会話でも,相手が面白いと思うサイエンスをこちらがやっていることが伝われば議論は十分に盛り上がる印象です.普段から自分の研究結果を他人が見て分かりやすい図や表を作っておきたいですね.その意識は論文執筆にスムーズに繋がっていくと感じています.

2016年11月18日金曜日

コツコツ論文執筆

なんとか1日1時間は論文執筆にあてるように意識するようにしています.論文執筆のリズムに慣れてくると,執筆作業しない日は気持ちが落ち着かないようになっていきます.毎日のジョギングと同じですね.

筆頭,共著含めて,論文数がやっと年齢の数まで10をきってきました.自分の年齢の数まで論文書くことを研究者として一つの通過点と考えています.後々に残る論文を書きたいところです.

研究業績リスト(2016/11/09更新)
https://staff.aist.go.jp/otsubo-m/contents_pubj.html

昨今の成果主義には色々と思うことありますが,,,それでも,論文書くまでが研究だと思うし,論文書くことで自分が研究をやってきた足跡を残せると思っています.学会や研究集会での成果発表は,「足跡を残すこと」ではなく,「アピールのための広報」という位置づけだと思うようになってきました.

研究の足跡をコンスタントに残せているかどうかは,海外研究者との議論の際の説得力に違いがでます.まずは,「自分の研究とは何か?」をスパッと言い切れるための主要論文5つを揃えたいところ.周囲にスパッと言い切れる論文が無くて,「私はこういうこと考えてますよ」というのは海外研究者にはほとんど通じない印象です(すぐに海外研究者にアイデアだけ持っていかれます...).

他の人がツイッターでつぶやいていたことですが,自分の主要論文5つ揃えることは,「ドラクエ」でいうところの,「剣,鎧,盾,兜は常にいいものに揃えて,あとは必要に応じて道具を持ち物いっぱいにして置く」に近い感覚です.持ち物全てをいいものにすることまではない印象です.

論文執筆の際の参考に,以下の二つのホームページを紹介します.

1.研究者のための論文10カ条
http://members3.jcom.home.ne.jp/mag-hu/Tsunogai/Ronbun/Zatsu5/Zatsu5-60d.htm
2.これから論文書く若者のために http://www7b.biglobe.ne.jp/~satoki/ronbun/kyo/korekara/korekara.html